2011年2月28日 (月)

幽宮(かくりのみや)(その1) ~所在地~

 幽宮(かくりのみや)とは、日本(書)紀の上代に記述されている国生みの主役、いざなぎ神(男神)の、伝説上の終(つい)の棲家(すみか)である。ただしこの「かく{り}のみや」という呼び方も、広辞苑では「かく{れ}のみや」というように現代風にかえられているので、少しさびしい気がする。次回の改訂版では、本来の言い方と思われる呼び方に、辞典も戻してほしいものだ。

 で、ちょっとこれだけ書いてみても従前の文体とずいぶん変わってしまった。わかりやすく書こうとしても、なにしろ元の話が漢文、カタカナもひらがなも句読点もない世界なので、しょせん私の文章力では無理。いずれわかりやすく書き直すまで、文体が乱れるままで、ご勘弁。
 ついでに最初にお断りしておきますが、いちいち注釈をつけると論文と間違えられそうなので、文章中の語句の根拠・引用元等に付いては、最後(続きを読むの前)に順次補足しながら、まとめて載せておきます。

 最初から横道にそれてしまった。さて、「われこそは、幽宮(かくりのみや)の所在地である」と主張している代表的な神社としては、滋賀県彦根市の多賀大社と、わが島内淡路市にある伊弉諾(いざなぎ)神宮(旧一ノ宮町多賀)が、良く知られていると思う。

 この2社に限らず、古事記の記述に「淡海(おうみ)の 多賀」という語句の両方もしくはどちらか、の地名があることをその所在地の根拠としている場合が、多いのではなかろうか。
 「淡海(おうみ)」を「琵琶湖」と解釈するか、「淡海(おうみ)」というのは「海」を「路」と誤記(原本は発見されておらず写本のみ)したものであり本来は「淡路」だったと解すべきであると考えるかによって、幽宮(かくりのみや)が彦根に行ったり淡路島に来たりしてしまうことになる。
 そもそも古事記には、『幽宮(かくりのみや)』という風に記載されていない。
 つまりいわゆる「記紀」、古事記と日本(書)紀を一緒(いっしょ)くた(ごちゃまぜ)にして、良いとこ取りをした結果のお話であろう。
 こういう考え方を農業の盛んな淡路島風には、「我田引水」という?

 だいたい「記紀」という風に、両者が同じもの(同格)だという考え方は、王政復古の明治から昭和20年8月敗戦までの、「万世一系」の皇国史観に基づくものであり、「あらびとがみ」でなくなった戦後から現在いたる一般的な学説では、古事記と日本(書)紀を正確さはともかくとして、別の個々の(歴)史書、とみなしている。

 このような事情から、日本(書)紀の記述のみで、幽宮(かくりのみや)はどこか、考えてみようと思う。
 「そんなん簡単なんとちゃう?2引く1なら答えはひとつしかない」と、幽宮は島内淡路市にある伊弉諾(いざなぎ)神宮しかない、というのは早計(そうけい)。伝承によれば、淡路島の北端の岩屋の洞窟も候補のひとつだ。

 磤馭慮島(オノコロじま)伝承が、沼島や家島をはじめ淡路島を含む周囲にほぼ限定されることから、神話の話としても幽宮(かくりのみや)が淡路島のどこかに存在する、とするのは問題ない。
 とすると、やはり旧一宮町の伊弉諾(いざなぎ)神宮、となってもおかしくないことになりそうである。

 ところが以前から島内の地方史研究家が悩み、また島外の方からも指摘される点がある。
 過去にブログで書いた伊勢街道沿いにある「桜井茶臼山(ちゃうすやま)古墳」(2009/11)のように、「有力者の墓は、街道の近くにある」という考え方だ。
 これは死んでからも現生を見守る、街道の安全を確保する手段としての墓、という古代の死生観によると考えられている。
 ましてや伝説上の国生み(くにうみ)の男神である伊弉諾(いざなぎ)神、とうぜん主要街道の近くにあるはず、ではないかと、…。
 古代の淡路島を通る街道は、五畿七道(ごきしちどう)のひとつである南海道。奈良から紀ノ川沿いに西へ淡路島を通って四国に至る街道、淡路島の由良から福良へ抜ける経路で、淡路島としては南部よりの道路だ。残念ながら、伊弉諾(いざなぎ)神宮からはずいぶん距離がある、ことになる。

 では、どこだ。
 そこでふとひらめくのが、過去のブログで紹介した淳仁天皇陵。もともと明治政府によって初めて認証された、今も宮内庁が税金を使って大事に管理しているお墓は、どうであろう?
 南海道の街道沿いの近くにあるではないか。りっぱな「御陵(ごりょう)」なのだから、現在は神社でないにしても、いざなぎ神宮よりも、よほどふさわしいのではないか。

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 これで、決まりだ!
 ならば、島内の地方史研究家が従来から悩む必要は、なかったはず・・・。
 実はいまひとつ、大事な点がある。
 問題は、「幽宮(かくりのみや)」の、「幽(ゆう)」という表現。最初のほうでも書いたが、日本(書)紀は「漢文」の世界。なぜ特別にこの「幽(ゆう)」という文字を用いたか。古事記のように、単に「座(ざ)」としても良かったのに、わざわざこの字を用いている。この漢字の意味を無視するわけにはいかない。

 「幽(ゆう)」という字には、「山あいの・黒く」という意味が込められている。「御陵」はどこにあるかといえば、山すそというより平野部に近いところにある。 となると「御陵」にしても、いざなぎ神宮にしても、漢字の意味から考えると、無理がある。
 しかも『宮』とあるので、建物が20棟程度収まる広さ、邪馬台国ではないかとの説もある纏向(まきむく)遺跡の広さが大体3キロ㎡ぐらいだから、淡路島民がよくお参りする徳島県の薬王寺ぐらいの広さではとても足りない。

 このように考えてみると幽宮(かくりのみや)は、淡路島島内(条件その1)、山あいにあること(条件その2)、3キロ㎡ぐらいあること(条件その3)、南海道近くにあること(条件その4)、これらの条件を満たす場所、でなければならない。

 では、「いったいお前はどこが幽宮(かくりのみや)にふさわしいと考えているんだ。だいたい南海道沿いの山あいに、そんな都合の良い場所が、あるのか?これだけ長々と書いてきて、根拠がある話なんだろうな」との疑問が起きてくるかもしれない。

 そこで再びしつこいようだが、過去のブログで紹介した「山門の哀(かな)しみ」(2008/9)を取り上げたいと思う。この眼前から見下ろすように広がる成相(なりあい)寺一帯(いったい)こそが、幽宮(かくりのみや)にふさわしい、とかんがえている。
 次回のこのテーマの話は、その根拠として挙げられる様ざまの事例を書きたいと思います。


 日本(書)紀 巻第一 神代上 第六段本文より
「是以構幽宮於淡路之州」

 ※ 森 博達 著「日本書紀の謎を解く」中公新書 11~12頁
 「『書』は、帝紀や…紀伝体の史書を指し、『紀』は、編年体の史書を 示す。…編年体の紀はあっても,列伝などが欠けている」

 広辞苑(第6版)505頁 
  かくれ【隠れ】
   【幽宮】心霊の鎮まる宮殿。神代上「  を淡路の州(くに)に構(つく)りて」

 古事記 第2章 二 最後的三貴子 末尾
   「故其伊邪那岐大神者座淡海之多賀也」
 ※「古事記」という史書には、一部偽書説・全部偽書説もある

 ※上田 正昭 著 「日本の神話を考える」小学館ライブラリー24頁
 「これらの宮廷の語(かた)り人や語りの集団…。老嫗置女はもともと『淡海』国にある人であり【古事記】、『近江国…【日本書紀】文注
』であった。」

大日本帝国憲法 上諭(じょうゆ)より 
朕祖宗ノ遺烈ヲ承ケ
  『万世一系』ノ帝位ヲ践ミ

 白川 静 著 「字統」 324頁
 「『座』…神霊のあるところの意…」 

 白川 静 著 「字統」 835頁
 「『幽』…山に従うて山中に幽居する意…」 

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2011年1月15日 (土)

御粥占祭(おかいうらまつり)

 今日1月15日は、俗に言う「おかいさん」の日。淡路市多賀にある伊弉諾神宮の、お粥占い(おかゆうらない)が行われる日です。今年の稲作を、早稲(わせ)・中稲(なかて)・晩稲(おくて)のどれにするかを占う、農家にとって大事な神事です。
 ただ地域によって「かゆ占い」の日は、さまざま。淡路島の住民がよく行く徳島の薬王寺ではこの行事が行われるのは、確か1月2日だったと思います。
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 そういうわけで、私もお参りしてきました。最初の写真は、占いの結果が見られる建物の写真。神主さんがずっとお粥のおそばに、付きしたがっています。
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 2枚目と3枚目の写真は、占いの結果のようす。
 この写真を見られた方は、今年の作付けをどう決められるのでしょうか?

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2011年1月 3日 (月)

 講演のお知らせ2

 「熊野信仰と諭鶴羽権現(ごんげん)」
 ~諭鶴羽古道(ゆづるはこどう)を歩く~
という講演が、前回に引き続き1月8日午後2時、三原公民館1階会議室(問い合わせ先;南あわじ市市長公室0799-43-5002)で開催されます。
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 講師は、前回同様淡路地方史研究会会長の、武田信一先生です。
 熊野信仰というと、ちょっぴり「徐福(じょふく)伝説(不老不死の薬探し)」と連想してしまう私ですが、もちろん時代が合うわけはない・・・。熊野信仰なんて、「年寄りの趣味(失礼\(・o・)/)」としか思ってなかったので、ちゃんと出席しないと!

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2011年1月 2日 (日)

本の紹介その2 カウントダウン

 昨日までの暴風が嘘(うそ)のようにぴたりと止まり、ようやく穏やかな正月らしい日を迎えました。昨夜の雨で庭の池の氷も、とけました。
 今日は、「書き初め」 の日。「筆はじめ」ならぬ「読書はじめ」の日があってもいいのではないか、と思ったりもします。
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 「(1日の計は朝にあり)1年の計は元旦にあり」とか言う言葉があります。そこで「計」を「計画」になぞらえて、こんな本をご紹介させていただきます。
 題名 「カウントダウン」 
著者 「佐々木 譲」
 出版社 毎日新聞社 
 内容 多選市長の放漫運営のもとで財政破綻に瀕(ひん)した北海道幌岡市。街を救うため市長選に挑戦する若者たちの友情を熱く描く、爽(さわ)やかな長編小説(「毎日新聞社の本と雑誌」http://books.mainichi.co.jp/2010/09/post-8b3b.html#search_word=カウントダウン サイトの紹介より)
島内3市の財政状態は、「良い」とは言えない状況ですよね。特に淡路市の財政は、県内でも問題視されているようです。むろん当の淡路市当局の方は「問題ない」という見解でしょうが。

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2011年1月 1日 (土)

謹賀新年

 明けましておめでとうございます。本年も気長におつきあいください。
 朝起きてみると、庭の池に氷が張っていました。池の中の金魚たちも、今日から冬眠に入ったようです。
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 昨夜は除夜の鐘のあとで、近くの神社に初詣でいたしました。定型句のように吹きさすむ寒風の中、お参りする人(々)の数は例年の例年の五分の一くらいでした。この調子では、伊弉諾神宮へお参りする人の数も、ずいぶん少なかったことだろうと思います。
 で、元旦に何か皆様にお届けするような話題は何か? が、この写真です。今庭のびわの木の花が、真っ盛り。 風が少々強くても、びわの香りが漂っています。

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2010年12月 8日 (水)

講演のお知らせ1

    「奈良時代”みはら”」
  ~淡路国府と淳仁(じゅんにん)天皇の配流~
という講演が、12月10日午後7時半から、三原公民館(問い合わせ先;南あわじ市市長公室0799-43-5002)で開催されます。
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 とはいっても、むろん私が講演するわけではありません。講師は、淡路地方史研究会会長の、武田信一先生です。貴講師はもと高校教師で、このような講演は壱千回を超えられたそうです。
 さて今回は、「まちづくり国生み講座」の2回目になります。参加費は無料で、誰でも聴講できます。質問の時間も用意されていますし、簡単な資料も配付されると思います。
 蛇足ですが会場整理の都合上、5分前には着席(前回は、満席でした)、携帯の電源は切るかマナーモードにしましょう。そして筆記具を持参されると便利です。
 このブログでも、淡路島の歴史に時々ふれています。しかし島内で暮らしていると言っても、恥ずかしながら淡路島の系統だった歴史について、私は門外漢(・_・、)。ぜひこの機会に淡路島の歴史を、学びたいと思っています。

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2010年4月 7日 (水)

ツバメ その2 巣作り

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 今回は、去年の巣を再利用するようです。4月2日に少し凹んだところ、去年壊れた部分の手直しだけ、1日で作業は終わりました。写真を見ると、くちばしで運んできた新しい泥の部分だけ、色が濃いのがわかります。


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 さて2枚目の写真、こちらは5日撮影です。外壁のあとは、寝床の準備。居心地が良くなるように、材料の枯れ草選びは、大変でしょう。

 この写真をクリックすると、くちばしに素材をくわえてる様子が、よくわかります。

2010年4月 6日 (火)

蛾(が) 

 昨日も今日も曇り時々晴れ。筍(たけのこ)掘りのためには、 気温は高めという、好条件。それだけではタケノコの芽は、出ません。少し雨がほしい所です。


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 さて昨日、我が家の庭に、珍客が訪れました。薄茶色の単色ながら、見事なデザインです。ほとんど動きません。この写真を撮るために、サインペンをおいたところ、少しだけ触角と羽を、動かしました。
 その後いつの間にか、彼女は姿を消したようです。

2010年4月 5日 (月)

筍(たけのこ) その3 四日目(収穫)

 気温が平年並み、雨降らず・・・。 予想したより筍の背が伸びません。
 ほんとは2日目に、あわてて収穫するつもりでした。
 でも、お遊びは、ここまで!これ以上延ばすと、タケノコがおいしくなくなります。
 この筍シーズンの始まる時期の筍の見つけ方は、半分以上がゴム長靴の足裏の感触。地表に1センチほどの芽が出ていても、なかなか気づかない物です。
 その為に初心者は、筍畑に入れません。筍の芽を踏み、気づかないままいると、そのまま筍は腐(くさ)ります。
 さて昨日、の写真を見て、先っぽの芽の色がおかしい。芽が大きすぎると感じていた方は、(事情)通です。
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  筍の芽は、太陽の光を浴びると、黄色から黄緑色、そして緑色へと、変わります。今回はブログ用に、筍に覆(おお)いを掛けていました。
 写真は掘り出す直前の状態。筍の横に見えるトキのくちばしのような道具は、筍掘り用のツルハシ。
掘り出した物は、この欄の下の<続きを読む>で!

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2010年4月 4日 (日)

筍(たけのこ) その2 三日目

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 昨日今日と、平年泣きの気温と言うことで、少し肌寒い状態が続いてます。季節の変わり目は、体長が壊れやすいので、用心しなくっちゃ。
 さて一昨日のタケノコは、昨日湖のようになりました。


 それで、下の写真が今日の状態です。明日は、いよいよ掘り出します。

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