幽宮(かくりのみや)(その1) ~所在地~
幽宮(かくりのみや)とは、日本(書)紀の上代に記述されている国生みの主役、いざなぎ神(男神)の、伝説上の終(つい)の棲家(すみか)である。ただしこの「かく{り}のみや」という呼び方も、広辞苑では「かく{れ}のみや」というように現代風にかえられているので、少しさびしい気がする。次回の改訂版では、本来の言い方と思われる呼び方に、辞典も戻してほしいものだ。
で、ちょっとこれだけ書いてみても従前の文体とずいぶん変わってしまった。わかりやすく書こうとしても、なにしろ元の話が漢文、カタカナもひらがなも句読点もない世界なので、しょせん私の文章力では無理。いずれわかりやすく書き直すまで、文体が乱れるままで、ご勘弁。
ついでに最初にお断りしておきますが、いちいち注釈をつけると論文と間違えられそうなので、文章中の語句の根拠・引用元等に付いては、最後(続きを読むの前)に順次補足しながら、まとめて載せておきます。
最初から横道にそれてしまった。さて、「われこそは、幽宮(かくりのみや)の所在地である」と主張している代表的な神社としては、滋賀県彦根市の多賀大社と、わが島内淡路市にある伊弉諾(いざなぎ)神宮(旧一ノ宮町多賀)が、良く知られていると思う。
この2社に限らず、古事記の記述に「淡海(おうみ)の 多賀」という語句の両方もしくはどちらか、の地名があることをその所在地の根拠としている場合が、多いのではなかろうか。
「淡海(おうみ)」を「琵琶湖」と解釈するか、「淡海(おうみ)」というのは「海」を「路」と誤記(原本は発見されておらず写本のみ)したものであり本来は「淡路」だったと解すべきであると考えるかによって、幽宮(かくりのみや)が彦根に行ったり淡路島に来たりしてしまうことになる。
そもそも古事記には、『幽宮(かくりのみや)』という風に記載されていない。
つまりいわゆる「記紀」、古事記と日本(書)紀を一緒(いっしょ)くた(ごちゃまぜ)にして、良いとこ取りをした結果のお話であろう。
こういう考え方を農業の盛んな淡路島風には、「我田引水」という?
だいたい「記紀」という風に、両者が同じもの(同格)だという考え方は、王政復古の明治から昭和20年8月敗戦までの、「万世一系」の皇国史観に基づくものであり、「あらびとがみ」でなくなった戦後から現在いたる一般的な学説では、古事記と日本(書)紀を正確さはともかくとして、別の個々の(歴)史書、とみなしている。
このような事情から、日本(書)紀の記述のみで、幽宮(かくりのみや)はどこか、考えてみようと思う。
「そんなん簡単なんとちゃう?2引く1なら答えはひとつしかない」と、幽宮は島内淡路市にある伊弉諾(いざなぎ)神宮しかない、というのは早計(そうけい)。伝承によれば、淡路島の北端の岩屋の洞窟も候補のひとつだ。
磤馭慮島(オノコロじま)伝承が、沼島や家島をはじめ淡路島を含む周囲にほぼ限定されることから、神話の話としても幽宮(かくりのみや)が淡路島のどこかに存在する、とするのは問題ない。
とすると、やはり旧一宮町の伊弉諾(いざなぎ)神宮、となってもおかしくないことになりそうである。
ところが以前から島内の地方史研究家が悩み、また島外の方からも指摘される点がある。
過去にブログで書いた伊勢街道沿いにある「桜井茶臼山(ちゃうすやま)古墳」(2009/11)のように、「有力者の墓は、街道の近くにある」という考え方だ。
これは死んでからも現生を見守る、街道の安全を確保する手段としての墓、という古代の死生観によると考えられている。
ましてや伝説上の国生み(くにうみ)の男神である伊弉諾(いざなぎ)神、とうぜん主要街道の近くにあるはず、ではないかと、…。
古代の淡路島を通る街道は、五畿七道(ごきしちどう)のひとつである南海道。奈良から紀ノ川沿いに西へ淡路島を通って四国に至る街道、淡路島の由良から福良へ抜ける経路で、淡路島としては南部よりの道路だ。残念ながら、伊弉諾(いざなぎ)神宮からはずいぶん距離がある、ことになる。
では、どこだ。
そこでふとひらめくのが、過去のブログで紹介した淳仁天皇陵。もともと明治政府によって初めて認証された、今も宮内庁が税金を使って大事に管理しているお墓は、どうであろう?
南海道の街道沿いの近くにあるではないか。りっぱな「御陵(ごりょう)」なのだから、現在は神社でないにしても、いざなぎ神宮よりも、よほどふさわしいのではないか。

これで、決まりだ!
ならば、島内の地方史研究家が従来から悩む必要は、なかったはず・・・。
実はいまひとつ、大事な点がある。
問題は、「幽宮(かくりのみや)」の、「幽(ゆう)」という表現。最初のほうでも書いたが、日本(書)紀は「漢文」の世界。なぜ特別にこの「幽(ゆう)」という文字を用いたか。古事記のように、単に「座(ざ)」としても良かったのに、わざわざこの字を用いている。この漢字の意味を無視するわけにはいかない。
「幽(ゆう)」という字には、「山あいの・黒く」という意味が込められている。「御陵」はどこにあるかといえば、山すそというより平野部に近いところにある。 となると「御陵」にしても、いざなぎ神宮にしても、漢字の意味から考えると、無理がある。
しかも『宮』とあるので、建物が20棟程度収まる広さ、邪馬台国ではないかとの説もある纏向(まきむく)遺跡の広さが大体3キロ㎡ぐらいだから、淡路島民がよくお参りする徳島県の薬王寺ぐらいの広さではとても足りない。
このように考えてみると幽宮(かくりのみや)は、淡路島島内(条件その1)、山あいにあること(条件その2)、3キロ㎡ぐらいあること(条件その3)、南海道近くにあること(条件その4)、これらの条件を満たす場所、でなければならない。
では、「いったいお前はどこが幽宮(かくりのみや)にふさわしいと考えているんだ。だいたい南海道沿いの山あいに、そんな都合の良い場所が、あるのか?これだけ長々と書いてきて、根拠がある話なんだろうな」との疑問が起きてくるかもしれない。
そこで再びしつこいようだが、過去のブログで紹介した「山門の哀(かな)しみ」(2008/9)を取り上げたいと思う。この眼前から見下ろすように広がる成相(なりあい)寺一帯(いったい)こそが、幽宮(かくりのみや)にふさわしい、とかんがえている。
次回のこのテーマの話は、その根拠として挙げられる様ざまの事例を書きたいと思います。
日本(書)紀 巻第一 神代上 第六段本文より
「是以構幽宮於淡路之州」
※ 森 博達 著「日本書紀の謎を解く」中公新書 11~12頁
「『書』は、帝紀や…紀伝体の史書を指し、『紀』は、編年体の史書を 示す。…編年体の紀はあっても,列伝などが欠けている」
広辞苑(第6版)505頁
かくれ【隠れ】
【幽宮】心霊の鎮まる宮殿。神代上「 を淡路の州(くに)に構(つく)りて」
古事記 第2章 二 最後的三貴子 末尾
「故其伊邪那岐大神者座淡海之多賀也」
※「古事記」という史書には、一部偽書説・全部偽書説もある
※上田 正昭 著 「日本の神話を考える」小学館ライブラリー24頁
「これらの宮廷の語(かた)り人や語りの集団…。老嫗置女はもともと『淡海』国にある人であり【古事記】、『近江国…【日本書紀】文注
』であった。」
大日本帝国憲法 上諭(じょうゆ)より
朕祖宗ノ遺烈ヲ承ケ
『万世一系』ノ帝位ヲ践ミ
白川 静 著 「字統」 324頁
「『座』…神霊のあるところの意…」
白川 静 著 「字統」 835頁
「『幽』…山に従うて山中に幽居する意…」
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